Calendar
SunMonTueWedThuFriSat
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      
<< December 2017 >>
Recommend
地震-終末のミステリー
地震-終末のミステリー (JUGEMレビュー »)
ジャック・ヘイフォード
Recommend
家族の回復
家族の回復 (JUGEMレビュー »)
マルコーシュ・パブリケーション
Recommend
New Entries
Archives
Categories
Recent comment
Profile
Links
Mobile
qrcode
Admin
無料ブログ作成サービス JUGEM
Seach this site
2009.04.11 Saturday
異言の解釈――既知語と未知語
 「リバイバル・ジャパン」http://www.revival.co.jp/ 4/15号の風知一筆に、「ペンテコステ派は、この使徒の働き2章を外国語としての『異言』と主張するが、ここを、神が外国語を用いた『預言』であると解釈する余地はないだろうか、とふと思う」という文章がある。
 これは有名な使徒行伝2章の聖霊降臨で語られた異言に、新解釈? を提示しているようだ。この場面の異言は、その場面で聞いていた人が分かる外国語であったので、通常、「異言で祈る」という時と違う異言ではないかという疑問はよく聞く。
「リバイバル・ジャパン」誌でも使徒2章で聞いた異言は、それを母国語としている人には、「預言」であるのではないかと言っているのだ。しかし、聞いている方では、「預言」と同じだが、語っている方は、自分では分からない言葉を語ったのである。聞いている人の何人かは、それを母国語としていたので、自分たちに対するメッセージだと解ったから「驚き怪しんだ」(使徒2:7)のである。何で「驚き怪しんだ」のかというと、語っている人はガリラヤ人たちで、外国語は絶対に知らないような漁師たちなどが多かったからである。つまり、語っている方の立場からすれば、「異言」であったのである。
 これはどういうことかというと、異言には聞く立場から言えば、「既知語」と「未知語」があるということである。しかし、語る方の立場からすれば、いずれも訳のわからない言葉なので「異言」なのである。
 そうすれば、使徒2章で語られたのは、やはり異言であったということが了解されるはずだ。
では通常、訳のわからない言葉で祈っている異言は、未知語というように、意味がないのかというと、「異言を話すものは自分の徳を高めます」(第一コリント14:4)とあるように、未知語で語ることにも充分、意味がある。
ところが、既知語でなければ、本当の異言ではないのではないかと疑う人もいるのだが、パウロが第一コリント12章の九つの霊的な賜物を述べた中の一つに「異言を解き明かす力」というのがある。ここに注目しよう。既知語なら解き明かす力は必要ないので、ここでは明らかに未知語に言及しているのである。つまり、訳のわからない異言にも、「解き明かす力」という賜物と出合えばすべて「意味が明確になる」のである。
| マルコーシュ・パブリケーションズ | 神学 | 11:33 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |