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2012.05.26 Saturday
日本語は古代語である
 「日本語は古代語である」ということを、今年の本誌三月号で私が初めて言いだした。どういう反響になるかと思っていたが、最近やっと肯定的な意見をもらったので、勇気を得ている。

 古代語というのは、英語やフランス語、ドイツ語などの近代語と違って、ヘブル語、古典ギリシャ語、ラテン語、サンスクリット語と並ぶ言語であるということだ。
 一番、特徴的なことは、動詞の活用の問題で、時制(過去・現在・未来)よりもアスペクト(完了・未完了)が優先しているということなのだ。

 また、動詞の態であるが、能動態、受動態だけでなく、中動態が多いということである。これはギリシャ語の文法をやっていて気がついた。英語の動詞は中動態とほど遠いので、英語の文法で古代語を理解することは不可能だが、日本語だとすいすい解る。

 もっと文法を追求していくと、へブル語のニフアルは受動態でなくて、中動態であるのではないかと思うようになった。

 言語学的には、動詞は受動よりも中動が先に出て来たという。つまり、動詞は能動、中動、受動の順番で現れてきたというのだ。

 だから、ギリシャ語文法をやっていて、ギリシャ語より古いへブル語の動詞に「なぜ、中動態がないのだ」と疑問を持ったのだ。そこで、ニフアルは中動態であることが閃いたのである。これも大きな発見である。

 中動態というのは、日本語でいうところの「る」「らる」「れる」「られる」の働きである。これらは、「自発」「受身」「可能」「尊敬」を意味している。

 例えば、「富士山が見える」というのは、中動態である。英語なら「I see Mt. Fuji!」というところだが、日本語では主語がなく、富士山が「自然に出で来る」という感覚なのである。

 英語と日本語では言語の哲学が根本的に違う。ギリシャ語で「ヨハネが現れた」という動詞は中動態であるが、これも日本語的感覚だとすぐ解る。ヨハネが現れたのは、旧約聖書の預言の成就として現れたのであって、能動ではなく、「神によって出で来た」ということが日本語だと対応して理解できるのだ。日本語の自然という概念を神に置き換えればよいのである。

 私はこのことを聖書翻訳の編集を通して、主から知らされたというような感覚である。日本語は古代語であるので、聖書の原語をよく理解できるのである。
| マルコーシュ・パブリケーションズ | 聖書翻訳 | 15:21 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |